「鈴は戦った。同級生を説得できなかった自分の無力に罪を感じたんだ。捨てられた犬を救えなかったという、罪の意識だ」
「罪の意識があったとしても、結局は逃げたじゃないか。命を絶つということは、負けを認めたという事だ。ただそれを正直に認める事ができるほど、彼女は純粋ではなかったのさ。己の醜さと向かい合えるほど、真っ直ぐでもなかったんだ」
「鈴は純粋だ。だからこそ、平気で動物を虐待するようなヤツらの行動には耐えられなかったんだ」
「見ているのが辛いから、醜いものなど見たくないから、だから死んだのか。だったら恐ろしく自己中心的な人間だ。辛さや醜さから逃げる事しか考えていなかった。この世に置き去りにされる動物の事などは考えもしなかったんだからな。織笠は、虐待される動物を可哀想だと思っていたわけではない。そういう光景を見なければいけない、そういう現状を聞かなければならない自分自身を可哀想だと思っていたんだ」
「やめろ。何を根拠にそんな事を。だいたい、鈴が逃げただの卑怯だの、ワケがわからない。話が飛躍しすぎだ。そんなものは所詮はお前の妄想だろう?」
魁流と慎二、二人の声が交互に、途切れる事無く周囲に響く。誰も、口など挟めない。
「やめろ。鈴は死んだんだぞ。反論の機会も与えられていない人間を罵倒するなんて、卑怯なのはお前だ」
「反論する機会など、自ら放棄したんだろう?」
魁流は瞠目する。
「死ねば、自分の事を悪く言う人間に反論する事はできない。それは誰にでもわかる事だ。だが彼女は、それでも自ら命を絶った。自分に反発する人間と対峙する事は避け、自ら反論する機会を放棄した。それでいて、意見を言う機会が与えられていないのだから悪く言うななどと主張するのは、それこそ我侭なのではないか?」
鼻で笑う。
「自分は間違ってなどいないと思うのならば、命など絶つべきじゃない。絶対に」
魁流は上体を前のめりに傾げ、両手を両膝の上に乗せて地面を睨んだ。上体が上下に揺れている。息遣いが荒い。
「せっかくそれまで築いてきた、争いは好まないが媚びる事もしないという聡明で意思の強いというイメージに、傷をつけてしまった。彼女が反論する事など滅多になかったから、この事件は周囲の記憶に鮮明に残る。織笠鈴は意外に好戦的だなどといった印象がついてしまうかもしれない。それは嫌だ。それでは唐渓に通う他の生徒と同じではないか。そんなのは嫌だ。自分はそんな人間にはなりたくない。自分は他の人間とは違う。あんな、蹴落としに勤しむ輩と同等だなんて冗談じゃない。だから彼女は逃げた。悪いのは相手だと、責任を同級生に擦り付けて逃げたんだよ」
嘘だ。そんな事があるはずがない。
「そうだよ。彼女は正義になりたかった。そのためには悪人が必要だった」
ひたすら暗闇の地面を睥睨する魁流を、慎二は無表情で見下ろした。
「お前は、わかっていたんじゃないのか? 織笠鈴がこのような人間だという事に」
「馬鹿な。そんな事、あるはずがない」
「いや、わかっていたはずだ。だがお前は認めなかった。なぜならば、織笠鈴の行動は、お前の行動そのものだったから」
ツバサは、ゴクリと唾を飲んだ。乾いた喉がヒリヒリする。
「お前と彼女は、生き写しだ。だからお前は彼女に惹かれた。小心な自分を肯定してくれる存在だったから」
「違う」
「お前にはわかっていたはずだ。自殺は逃避だと。だがお前は認めなかった。認めたくなかった。命を絶つなどといった方法で逃避する彼女の行動を認めれば、それはそのまま彼女の醜さを露見させる事になる。それは、自分の醜さの露見でもある」
「鈴は、醜くなんかない」
「お前は彼女の狡猾さから目を背けた。ただ彼女を崇拝した。崇め、憧れ、ただひたすらに追い続けた。お前はたぶん、幼い頃からそういう人間だったんだろうな。指示され、動かしてもらう事を望み、自分からは何もしない。いつでも、誰かに何かをしてもらう事を願う」
母に望まれるがまま過ごし、老女に言われるがまま神に祈り、極楽へ連れて行ってもらえるよう、願った。
「そして織笠の方もそれを望んだ。なぜならば、お前に崇められる事で、彼女の清純さを保つことができるから。医者の息子で財力も持ち合わせたお前が慕う事で、唐渓での彼女の正当性を保つ事もできる」
慎二は、視線を逸らした。
「醜い女だ。彼女の本性を知った時、俺は本気で吐くかと思った」
「知った? いつです?」
美鶴の擦れる声に、慎二は小さく眉間に皺を寄せる。
「愛華の言葉を聞いてからだ」
「言葉?」
「愛華は言った。織笠鈴は動物を殺して生きているのだと。俺は、それが正しい意見だとは思わなかった。冗談かと思った」
だが、自宅に戻って一人自室に篭り、ふと考えた。
織笠鈴は、そう思った事はないのだろうか、と。
悪いのは、罪悪も感じずに動物を捨てる方だ。虐待や処分といった現実を目の当たりにして、そういう行動を取る人々に憤りを感じるようになるのは当たり前かもしれない。
だが、それだけだろうか?
普段は物静かな生徒が珍しく声を荒げる。それほどの怒りを露にするような人間ならば、処分される動物たちのために何かできはしないかと、やがては考えるのが普通なのではないだろうか?
だが織笠鈴は、たとえば動物愛護のイベントに参加するだとか、処分される動物の現状を知ってもらおうといった行動などは起こさなかった。そんな話は聞いた事もない。
彼女は校内で目立つ存在だったというワケではないが、異質な存在だった事には間違いない。だから、彼女が何か周囲とは異なる行動を起こせば、それは必ず人の口の端にのぼるだろう。彼女を貶めようと、その行動に目を光らせていた生徒だっていたはずだ。例えば休日に街頭に立って募金を募ったり虐待撲滅を訴えるようなイベントなどにでも参加すれば、それはすぐに知れ渡るはずだ。
唐草ハウスでボランティアをしていたのだ。施設へ通ってくる他のボランティアを通じて、そういったイベントを主催する学生やNPOなどとも繋がりを持つことはできたはずだ。
だが彼女は、捨てる人を責め、そんな世の中を嘆くだけで、それ以上は何もしなかった。他人を責め、正しいはずの自分の意見が通らないとわかると、逃げた。
織笠鈴の、捨てられる動物の存在に心を痛める姿や、そういう行動を起こす人間を非難するような発言は、演技ではなかったかもしれない。そんな彼女はもちろん悪者ではない。だが、善人でもない。ただ、善い人間だと見えるよう、校内で振舞っていただけだ。
特別に善い事をしたワケでもないのに、善人として他の生徒を見下し、交流する事を拒否するなんて、ズルいとは思わないかい?
狡くて、薄情だと思った。捨てる人は責めるのに、何もしない、あるいはできない自分を責める事はいっさいしてこなかったのだ。
自分は悪くない。悪いのは周囲だ。自分は正しいに決まっている。だから、善人だと周囲に見られるよう振舞うのは当然だ。当然の権利だ。
彼女は知っていた。自分を正しく見せるには、そばに悪人を置けばよいのだと。
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